一ノ谷の戦いは現在の神戸市内各所で行われました。その地を巡りながらこの戦いのクライマックスである鵯越の逆落としが実際に行われた場所を探ります。

【平忠度腕塚】歌道にも優れた剛勇平忠盛の最後の地だが、時とともに伝説は変わる
平忠度腕塚とは?平忠度(たいらのただのり)は平清盛(たいらのきよもり)の末弟で、歌道にも優れ剛勇で知られた武将である。寿永3年(1184)2月の一ノ谷の戦いにおいて敗れた大将平忠度(ただのり)は、駒ヶ林指して落ちていく途中、源氏の武将岡部六...

【とらわれの松跡】平重衡が松の根に腰掛け無念の涙を流したという
平重衡とらわれの松とは?寿永3年(1184)2月の一ノ谷の戦いにおいて、生田口で敗れた平家の副大将平重衡は須磨まで逃れてきたが、無念にもこの地で捕虜となった。松の根に腰掛け無念の涙を流す重衡を見て、村人が濁り酒をさしあげたところ、たいそう喜...

【敦盛塚】わずか16歳で討ち死にした悲劇の武将平敦盛を供養するために建てられた五輪塔
敦盛塚とは?一の谷の戦いで源氏方の熊谷直実にわずか16歳で討たれた平敦盛を供養するために建てられたという五輪塔塚です。敦盛といえば、青葉の笛です。いい話です。北条貞時が平家一門を供養するために建立した「あつめ塚」と言われていたものが「あつも...

【一ノ谷】「逆落とし」や「安徳宮」にはGoogleMapに出てこない近道が断然おすすめです
一ノ谷への道のりは大変な坂道一ノ谷町は、「逆落とし」が行われた伝説の地や「安徳宮」がある一の谷公園など見どころが多いのですが、GoogleMapで検索する一ノ谷町への道のりは生半可なものではありません。「逆落とし」が行われただけあって、この...

【戦の濱】一ノ谷の戦い最大の激戦地となった塩屋口の戦場
戦の濱とは?一ノ谷の戦いにおける塩屋口の激戦地と伝えれる「戦の濱」は、現在では須磨浦公園になっています。源義経が逆落としに攻め込んだところではないかと考えられます。#2022年12月探訪須磨浦公園の利用案内とアクセス利用時間 24時間散策自...

【安徳宮跡】安徳帝の内裏跡と伝えられている一の谷公園
一の谷公園とは?義経が「逆落とし」を行ったとされる場所の近くにある公園です。この「一の谷公園」は、安徳帝の内裏跡として伝説が残っているところで、現在は公園として整備されています。「逆落とし」のごく近くにあるので、「逆落とし」に向かうときに寄...

【鵯越の逆落とし】一ノ谷の合戦の名場面「鵯越の逆落とし」は本当にここなのか?
鵯越の逆落としとは?ご存知のとおり源平合戦のメインイベントの一つです。源義経の軍勢が断崖絶壁を駆け下り、背後の山から襲っては来ないと油断していた平家が大いに破られて敗走した戦いです。現場を見ての正直な感想です。「逆落とし」の現場とされている...

【須磨寺】敦盛首塚をはじめ青葉の笛など源平ゆかりのお宝を見ることができます
須磨寺とは?須磨寺(正式名称:福祥寺)は、平安時代に建立したとされ、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として本堂を再建するなど、古くから由緒ある寺院です。しかし、この寺が最も著名である理由は、源平合戦ゆかりのお宝が数多くあることです。代表的なものをあ...

【蓮の池】一ノ谷の戦いで平重衡が西へ落ち延びるときに立ち寄った蓮の池
蓮の池とは?神戸市長田区に蓮池町という地名がありるが、この蓮池という地名は遠くは奈良時代に遡る歴史がある。車で走っていると、ふと通り過ぎてしまう公園であるが、飛鳥時代から奈良時代にかけて活躍した仏教僧行基が作ったと言われています。その後、こ...