平重衡とらわれの松とは?
寿永3年(1184)2月の一ノ谷の戦いにおいて、生田口で敗れた平家の副大将平重衡は須磨まで逃れてきたが、無念にもこの地で捕虜となった。松の根に腰掛け無念の涙を流す重衡を見て、村人が濁り酒をさしあげたところ、たいそう喜んで、
「ささほろや波ここもとを打ちすぎて須磨でのむこそ濁り酒なれ」
との句を詠んだと伝えれらている。
この平重衡が腰掛けたという松があった場所が言い伝えられている。
平重衡は、このあと鎌倉に送られた後に処刑される。
平重衡とらわれの松跡
「平重衡とらわれの松跡」は山陽電車須磨寺駅の駅ビルの角にある。
残念ながら松はない。
小さくてもここには植えて欲しい。松を植えると腰掛けるやつが現れて、代々の松が朽ちた結果かもしれない。といっても、ここは狭いので、植えるには厳しいかな。盆栽レベルの松では、こんなのに腰は掛けられんということになる逆効果かもしれない。あえて、なにもない方がいいのかもしれませんね。
しかし、電柱も防火水槽の標識もかなり邪魔・・・ここに立てるしかないのかもしれませんが、無粋である。
平重衡とらわれの松跡
寿永3年(1184)2月7日の源平合戦の時、生田の森から副大将平重衡は須磨まで逃れてきたが、源氏の捕虜となり土地の人が哀れに思い名物の濁り酒をすすめたところ重衡はたいそう喜んで
「ささほろや波ここもとを打ちすぎて須磨でのむこそ濁り酒なれ」
の一首を詠んだのち鎌倉に送られて処刑された
ここでとらわれた平重衡が悲嘆にくれつつ一首を詠んだことに思い馳せると同時に悲哀を感じる。いまやこの地にそうしたことに思い馳せるものはこの石碑だけであるが、悲しい思いが伝わってくる気がする。
平重衡とらわれの松の利用案内とアクセス
拝観時間 24時間
拝観無料
山陽電車須磨寺駅を出てすぐ左側です。地図で見ると少し北西に歩くのかなと思いましたが、まさに駅の角といってもいいところにありました。
実際、この「平重衡とらわれの松」は、小さくまとまっていることもあるが、探すのに少し苦労しました。写真で見て分かるようにまったく目立ってないのです。山陽電車の須磨寺駅を出てすぐ左手にあると分かっていればいいのですが、そうでなければなかなか難しい。「平重衡とらわれの松」は、写真の位置にあるので、行かれる方は見逃さないようにしましょう。
須磨寺のついでに行かれる方が多いでしょうが、須磨寺に期待するあまりこの「とらわれの松」の存在を忘れてしまわないようにも注意しましょう。
須磨霊泉
平重衡とらわれの松(山陽電車須磨寺駅前)から須磨寺へ向かう途中の信号渡ってすぐ右側に「須磨霊泉」があります。須磨寺駅と須磨寺のちょうど中間地点あたりです。
地元では有名な霊泉です。汲みに来る方が絶えないほどです。源平史跡になるかというと厳密にはならないのでしょうが、源平のヒーローたちもこの泉の水を飲んだに違いありません。源平の歴史を感じたい人は飲まないわけにいかないでしょう。
とらわれた後かもしれませんが、平重衡もこの水を飲んだことでしょう。
小屋の中に入ると、すっきりときれいに整備されています。
須磨霊泉は中央で水を汲むことができます。左右に水が流れるようになっています。水を汲むときに水筒やボトルを洗いますが、中央で洗ってはいけません。まずは、「下洗」で荒洗いして、次に「上洗」でしっかり洗ってから、中央で水を汲みます。
もちろん無料です。
水の味は・・・うまい!
冷たい水はたいてい美味しいと感じるらしいのですが、地元の方々に愛される霊泉だということが分かる味です。須磨寺に行く方は、ここで水を一口飲んでから訪れましょう。
最後に
源平ファンにとって、訪れずにはおけない須磨寺に行く途中にある「平重衡とらわれの松」は一ノ谷の戦いの悲哀を感じる史跡です。周りには思いを馳せる形跡はありませんが、この石碑を見てそのとらわれた状況を思うだけで泣けてきます。
実際のところ「とらわれの松」が史跡として残るようなものでしょうか?私はたいしたことない史跡だと思います。それは松にポイントを置くからです。つまり、残さずにはいられない状況があったのでしょう。平重衡が詠んだ句がそうさせたのかもしれませんが、須磨の村人たちが残そうと感じた何かがあったのでしょう。それを想像するだけで泣けてくるじゃないか!
須磨霊泉も味わうと重衡の無念をさらに感じることができるかもしれません。
史跡として、これといったものは残っていないのですが、なにか泣けてくる場所です。
平重衡が須磨に落ちのびる途中に立ち寄ったと伝えられている蓮池は、長田区に現存します。

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