須磨寺とは?
須磨寺(正式名称:福祥寺)は、平安時代に建立したとされ、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として本堂を再建するなど、古くから由緒ある寺院です。
しかし、この寺が最も著名である理由は、源平合戦ゆかりのお宝が数多くあることです。
代表的なものをあげてみます。
- 義経腰掛の松
- 敦盛公首洗池
- 敦盛首塚
- 平敦盛遺愛の「青葉の笛」
- 弁慶の鐘
須磨寺は一ノ谷にもほどちかく、源平ファンにとっては訪れておかなければならない場所の一つですね。
#2022年11月探訪
須磨寺境内
案内図を見て分かるとおり、須磨寺の見どころは源平だけではありません。
赤い欄干の橋を渡り仁王門をくぐると最初に「源平の庭」が参拝者を迎えます。
源平の庭
平家物語の名場面です。素直にかっこいい。
左が平敦盛で右が熊谷直実です。「やーやーやー、卑怯にも敵に後ろをお見せになるのか!」と呼びかける声に敦盛が振り返ったところでしょうか。
我が家の庭にも欲しいです。もちろん入らないですけど。
残念ながら文字を判読するのは非常に困難です。
読みたいので、なんとかして欲しいです。
源義経の腰掛松と敦盛首洗池
手前の池が敦盛の首を洗った池です。その奥の屋根の下に置かれている朽ちた大木が義経が敦盛の首実検をするときに座ったという松です。
池はごくごく小さな池です。首を切ってから時間が経っているので、小さい池といえどもあまり汚れなかったのかもしれません。
ところで、松に座るというシチュエーションが気になります。まだそのときは、枯れていなかったと思いますが、大きな松であれば、歩いて座る高さの位置に枝はないと思うので、わざわざ松に登って座ったんでしょうか?松に登って首実検をしたのであれば、かなり低い位置に枝があったことになります。さすがに、松の上まで首を持ってこさせることはないでしょうし。
ここは寺の境内です。どっちにしても、かなり邪魔な枝だったんじゃないかと余計な心配をします。
義経もいちいち木に登って、首実検をせずともいいのにと思いますが、どうだったんでしょうかね。もっと近くでしっかり見てもらわないと困りますが、天才はやることが違うんででしょう。
源義経卿腰掛松
義経卿この松樹に腰を掛けて敦盛卿の首を実検せりと云う
よって一名首実検の松とも云う
参拝者が、コインを松の隙間に突っ込んでいます。こんなことすると劣化が進むのでは?いやいや、銅(10円玉)の殺菌効果で虫よけになる?
なんにしても、このコインの目的は?敦盛の供養?うーん。難しい。
敦盛首塚
墓地の入口近くに敦盛首塚があります。
紅葉がきれいに色づき始めています。紅葉とのコントラストがいい感じです。
平敦盛卿首塚
敦盛卿の御首を埋葬す
敦盛卿は首と胴とを別々に埋葬せしものにて胴塚は其討死の場所たる一の谷にあり
参拝者が多いです。この首塚に参拝するために来られている方が多いように感じました。ほんとにきれいに整備されています。
横の絵馬掛けには、なぜか合格祈願もたくさんありました。験があるんでしょうか?煽ってる感すら感じます。何ごとも適材適所です。受験する前にしっかり勉強しましょう。
青葉の笛歌碑
「青葉の笛の歌碑」
静かに佇んでいる感じです。あまり目立っていません。
敦盛が吹いていた曲とはまったく違うことは間違いないですが、1906年(明治39年)に発表された尋常小学唱歌だそうです。
知りませんでした。
YouTubeで見つけましたので、貼らせてもらいます。
メロディーに古さを感じますが、物悲しくもいい曲ですね。現在の音楽の授業では取り上げられていません。こういう曲を学べば日本史に興味を抱くきっかけになると思いますが。
話は少しそれますが、現代の街には、なぞのオブジェがあちこちに設置されたりしています。あんなものを見ても私にはなんの感慨もわきません。何のために置いてるんだろうか?としか感じません。
変なオブジェよりも、郷土の武将などの英雄にした方がかっこよくていいと思います。人殺しを祀るのか!とかいう意見でも出るんですかね?
ボタンを順に押していけば、曲になるという便利な楽器(再生機?)のようです。
といっても、機械が壊れているのか音が鳴りませんでした。残念。
宝物館の青葉の笛
太い笛が「青葉の笛」で細い笛が「高麗笛」です。
敦盛が持っていた本物の笛です。二本も持っていたんですね。
見づらいので拡大しました。
当然とはいえ、かなり古い笛ですね。800年ほど前のものですからね。今でも実際に吹けるんでしょうか。音色を聞いてみたいものです。
弁慶の鐘
本堂のすぐ東側に怪力武蔵坊弁慶が担いでいたという鐘があります。
みなさん自由に鳴らしているので、私も鳴らしてみました。
大きい音は迷惑かなと思い、軽く鳴らしましたが、それでもかなり大きな音が出ます。気にせずにもっとやっちゃっていいのでしょうかね?
弁慶の鐘
元、当国山田村安養寺の鐘なり
一ノ谷合戦のとき武蔵坊弁慶これを長刀の先にかけ前に提燈を吊るして鵯越を担ぎまわりて陣鐘に代用せりと言う
世俗に釣合はざるを提灯に釣り鐘というは是より始まると言う
縦三尺 横一尺八寸 重量 五十貫
※だいたい縦90cm 横55cm 重量187kg
長刀の先に187kgの釣鐘を吊るして担ぐという武蔵坊弁慶の凄まじさに圧倒されます。
実際はどうだったのかなど、どうでもいいことです。
こんな信じられない伝説を残す人間がいたということに興味を惹きます。
実はこの鐘はレプリカです。
でも、本物は宝物館にありますので、そちらも忘れずに見ましょう。
宝物館の弁慶の鐘
武蔵坊弁慶が持っていた本物の弁慶の鐘です。
こんな巨大なものを持てるものだろうか?かつ、これを担いで一ノ谷を越えることができるだろうか?
先にも書きましたが、こうした伝説が残ること自体が素晴らしいと思います。
弁慶の鐘
元、当国山田村安養寺の鐘なり
一ノ谷合戦のとき武蔵坊弁慶これを長刀の先にかけ前に提燈を吊るして鵯越を担ぎまわりて陣鐘に代用せりと言う
世俗に釣合はざるを提灯に釣り鐘というは是より始まると言う
星霜800年 この鐘老朽してひび割れを生じたるともって昭和57年宝物殿に収め 替って新鐘を模造鋳造す
レプリカの説明と同じ言い回しですが、追加してレプリカ作成の経緯も書かれています。
ついでに見つけた史跡
本堂
石段を上がって、写真右の唐門をくぐるとそこは本堂の前です。
本堂を他の史跡というのも変なまとめ方ですが、義経もこの本堂の中に入ったことでしょう。
唐門はかなり古いようです。特に何も説明がありませんでしたが、阪神淡路大震災もくぐり抜けてきたのでしょう。
この本堂は、在原行平が参籠して、勅勘を許されたと伝えられています。また、この本堂は、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建もしています。最近では阪神淡路大震災でも被災し、数々の歴史の荒波をくぐり抜けてきました。
三重塔
須磨寺境内で最も美しいと感じた三重塔です。
本堂側から見ると、紅葉しかかった木々とともに美しい姿を愛でることができます。
当日も写真を撮っている方がたくさんいらっしゃいました。
三重塔を廻るとなんと四国八十八ヶ所めぐりができます。
このように四国八十八カ所のすべての寺が一同に会しています。
1日で八十八ヶ所を廻ることができるという素晴らしいシステムです。
シベリア満蒙戦没者慰霊碑
狛犬がクマです。可愛いと思いきや、でした。
日ソ中立条約を破って侵攻し、降伏した後も戦闘を継続し、多くの日本人を強制連行したソ連は許せません。
悲しい歴史の慰霊碑です。
軍人たると民間人たるとを問わず 太平洋戦争末期から戦後にかけて 満蒙北鮮シベリヤの地に いわれなき戦火といわれなき虜囚抑留の果てに 非業にたおれし われらの仲間を弔い奉る
遺骨収拾はおろか自由なる墓参も許されず 更には墓標すらなき凍土に埋もれて「異国の丘」に眠る戦友諸兄諸姉のみたまよ 来たりてここに会し給え
昭和57年10月
シベリヤ雪の同窓会
須磨寺(福祥寺)の利用案内とアクセス
拝観時間8:30~17:00
拝観無料
山陽電車須磨寺駅からぶらぶらと商店街を歩いて5分ほどです。
山陽須磨寺駅からのアクセスルートその1
青いのぼりが立っている左のビルが山陽電車須磨寺駅です。
駅を出て左に曲がって(山側)商店街の中を進みます。和菓子屋と喫茶店が多いですが、地元の方の日用品のお店もあります。
駅前にあったガイドマップです。
ご存知のとおり須磨周辺は源平ゆかりの見どころが多いです。
須磨寺の周辺マップです。
須磨寺の参道は「智慧の道」だそうです。
500mほどの適度な距離で、散策にはちょうどいい距離です。
商店街の最後に休憩所があります。
子どもも大人も楽しめる顔出し写真撮影コーナーもあります。
商店街を抜けたところに信号があります。
須磨寺へは信号をまっすぐ渡ってそのまま直進するイメージです。
交番の右横に「大本山須磨寺」の石碑が見えます。
須磨霊泉
信号渡ってすぐ右の四阿は「須磨霊泉」です。
地元では有名です。
無料で水を汲むことができます。
源平のヒーローたちが飲んだ水を飲まないわけにいきません。
山陽須磨寺駅からのアクセスルートその2
道は石畳になりました。
橋を渡ると境内に到着します。
最後に
「須磨寺」は、源平のお宝満載の見どころが多い寺院です。源平に興味がある方なら一度は訪れたいところです。私は本物の青葉の笛や弁慶の鐘より、源平の庭がいいです。あれはかっこいい!!
敦盛首塚は、きれいに整備されていて敦盛に思いをはせる人にとっていいところです。
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