乗出岩とは?
藤戸合戦のとき、佐々木盛綱がこの岩から馬に乗って海に入っていったと言われているところです。
この岩から南東を望むと向かいの島に平家の本陣が見える(見えたはず)。平家の陣までわずか3km。
しかし、その行く手を海が阻んでいる。八方塞がりの状況の中、佐々木盛綱は、なんと馬にまたがり海に入っていったのだ!
馬に乗って海に突撃する佐々木盛綱はじめとする騎馬武者たち。もうむちゃくちゃである。
盛綱は浅瀬の位置を知っていたとはいえ、そのとき家来たちは、そのことを知っていたのだろうか?その浅瀬でさえ、本当に信じられる情報だったのかもそのときは分からない。
家来たちは、
「親分がとんでもないことをやりだした!」
という状況だったのではないだろうか?
恐ろしい・・・
乗出岩
倉敷市街から倉敷川沿いの道を南へ進むと左側に岩が残されている。
造園屋の石置き場のようにも見えるが、ここから佐々木盛綱が海に入っていったという乗出岩と呼ばれている岩が残っている。
案内標識もあるので、探していれば必ず見つかる。
当時はここが海岸線だったらしい。瀬戸内海は島が多いが、この時代はさらに多かったことだろう。現代以上に海賊が活躍しやすい環境だったことが想像できる。
乗り出し岩
本土から児島へ渡る要衝の地藤戸に、元歴元年(1184)12月源平両軍が藤戸海峡をはさみ対陣した。
船を持たない源氏に対し、平氏は船を漕ぎ出してきて渡ってこいと指し招くのであった。
この挑発に源氏の武将たちは無念の思いで浜に「くつわ」を並べ海を眺めるばかりであった。戦況は膠着状態となった。
この沈滞した空気を打ち破ったのが佐々木盛綱であった。
彼は浦人から対岸に通じる一条の浅瀬を教えられた。
勇躍波浪凌ぐ寒中をものともせず、この岩鼻から馬おどらせ乗り出し、一気に海中を押し渡り先陣の偉功をたて、平氏を屋島へと敗走させた。
藤戸合戦の3か月後の文治元年3月、平氏一門は壇ノ浦で滅び去ったのである。
藤戸史蹟保存会

案内板の後ろに岩が露出している。
ここが岸壁だとすればここから海に乗り出すにはかなりの勇気がいる。しかも、馬で!?

岩の中腹(?)に馬の彫刻(オブジェ?)が設置されている。佐々木盛綱の故事に絡んだものであろう。

さらに登っていくと佐々木盛綱の墓らしきものがある。
花も活けられるようになっている。このときは花などはなかったが、こうしたものがあるということは、それなりに管理されているということである。感謝です。

さらに岩の上の方は、簡単な作りではあるが、立入禁止の柵があったので入っていない。

乗出岩から南東方向を見る。平家本陣の方向は、この写真の左側の木がある方向である。最短コースとはいえ、平家本陣に向かって浅瀬が真っすぐ続いているわけもない。続いていたのかもしれないが・・・そんな都合のいいもんじゃないだろう。

乗出岩から南方向を見る。
ここから南東方向の平家本陣への方角とずれすが、平家本陣があった児島(現在は本州の地名であるが、当時は「児島」という名前の島)へ渡る最短ルートはこの南方角である。
今となっては、どの方向に向かって海に入って行ったのかは分からないが、見渡してみると、遠くに望む山以外は田畑が広がっており、この田畑はすべて海だったものと思われる。すぐそばに倉敷川が流れているが、川の流れは常に変化しているどころか、当時は海の中だったから参考にもならない。浅瀬を伝って行ったことだけは間違いないが、当時の浅瀬を発見することは不可能だろう。
実際、乗出岩に立ち、南方向を見ると、進軍ルートはこの南方向だったように感じた。馬に乗って海に入るのである。後世の我々はこの事実があったことを知っているから衝撃を感じないが、冷静に考えてみよう。馬で海に入るなど常識外れも甚だしい。佐々木盛綱は、浅瀬があることを知っていたから乗り出したことになっているが、本当に聞き出したとおりに浅瀬があるのかどうか分からない。
事前に浅瀬の位置を調べたのだろうか?調べたとしてもそこで平氏に見つかると、お手柄のチャンスもおじゃんだ。調べずに乗り入れたのであれば、すごい勇気ある進軍である。無謀なだけか?
平氏もただ海への乗り入れを見ていただけではないだろう。見つけたら船から矢を射かけることは必定。平氏が油断しまくっていた可能性はあるが、夜中にこっそり海に入ったのだろうか。
なんにしても、すごい話である。
乗出岩の利用案内とアクセス
倉敷市藤戸は、JR瀬戸大橋線の茶屋町駅から西に4kmほどのところにあります。
道路のすぐ横に岩が残っている状態ですので、見学は自由だと思われる。
拝観時間 24時間可能だが、周辺に民家があるので、朝晩は行ってはいけないところだろう。
見学無料
最後に
藤戸合戦のとき、佐々木盛綱がこの岩から馬に乗って海に入っていったと言われている乗出岩のレポートでした。この岩から南東を望むと向かいの島(児島)に平家の本陣が見える。この岩に立ち、すぐ足元にあったであろう海に入っていく気持ちを感じてみよう。児島は思っていた以上に遠い。ほんとうに浅瀬が続いていたのだろうか?なにか別の技を使ったのではないかと疑問を感じます。
疑問を感じているようでは、まだまだ甘い。当時の景色を思い浮かべながら心からどっぷり浸かって、その心境に浸りましょう。
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